年: 2012年

玄海原子力発電所を訪れて

福岡より玄海原子力発電所へと車を走らせる。
もう10月も終わりだというのに、気温は27度。
日向にいると、蒸し暑ささえ感じるほどだ。
唐津市街を抜け、峠を越える。
目の前には真っ青な玄界灘。
青い海の手前には、無機質な白い建物群。玄海原子力発電所だ。
発電所の向かいにある半島へと向かう。
釣り客の後をついて細い道を下っていくと、
突如、原子炉建屋が目の前に現れる。
あまりの近さにぎょっとする。
距離にしておよそ300m。無防備ささえ感じる。
想像もできないほど暴力的な力を内蔵している原子炉建屋。
その力とは無関係なほどあっけらかんとした外観。
今まで国内のいくつか原子力発電所を見てきたが、
ここの印象は他とは違ってずいぶんオープン。
隠されているというよりも、当たり前にあることで、
却って忘れ去られているかのような雰囲気。
1号機は、すでに運転開始から30年以上の時を経ている。
老朽化に対して今後、どのように対策を立てていくかが、今まさに問われている。
平和と危機は、常に背中合わせだ。

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「鵠沼のオフィスリフォーム」実施図面完成

「鵠沼のオフィスリフォーム」実施設計図面がまとまりました。家具の詳細図から解体指示図、設備図や電気図まで内装工事を進めていくためには、かなり詳細な図面が必要となってきます。一式揃った実施図面を元に、工務店へ工事見積もり依頼します。工務店はこの図面を睨みながら、ひとつひとつ材料を拾い、工事金額を算出していきます。工事金額がまとまれば、いよいよ工事スタートです。

内装実施図面 内装実施図面

女川町へ

宮城県女川町へと向かう。
津波が訪れた直後、ツイッター上では、
女川町が大変な状態になっているとの情報が流れていた。
海抜20m以上の津波が街を襲い、
鉄筋コンクリート造の中規模ビルが横倒しになって倒壊していると。
実際、私が足を運んだ岩手県大槌町でも、
鉄筋コンクリート造の町役場が津波の被害を受けていたが、
建物の躯体自体はかろうじて残っているという状態であった。
他の街と同様に、女川町旧市街地も今では瓦礫の大半が片付けられ、
見渡す限り、原っぱが広がっている。
その中に3つ、唐突に異質なものが転がっている。
3階建の鉄筋コンクリート造の建物だ。
津波に押し流され、基礎杭が根元からぽっきりと破断している。
基礎ごと横倒しになった建物は、津波の中を漂い、
元あった場所から大きく移動したとの話だった。
この現実を目の当たりにし、背中に冷たいものを感じた。
想像もつかない程の津波のパワー。
建築業界の中にも構造強度を増し、津波に耐えるようにすればよい、
などという言説の人もいるようだが、この現実を知って、まだ
同じように言い続けることができるのだろうか。
少なくとも私は、この現実を見て、建築というハードの無力さを知った。
自然の脅威に対してできることは、対抗するのではなく、逃げることだけだ。
三陸地方の言い伝えに「津波てんでこ」という言葉がある。
津波がきたら、てんでんばらばらに一生懸命に逃げろという意味。

昔からそうであったように、自然を恐れ、崇拝すべきだ。
人間の力ですべてをコントロールできるなどと、過信してはいけない。
建築業界に携わるものであるならば、
少なくともこの場に立ち、この現実を目にするべきだと思う。

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女川原子力発電所を訪れて

牡鹿半島の海岸沿い走り、女川原子力発電所へと向かう。
ここ女川は、津波の被害を受けた被災地でもあり、
いつもの原子力発電所を巡る感覚とは、少し異なる。

原子力発電と津波災害は本来、分けて考えるべき事象だと自分は考えている。
3・11の津波により、福島原子力発電所が被害を受けたことにより、
原子力発電=津波=危険、という議論に陥ってしまいがちだが、
原子力による発電という事象と、大津波という事象というものは、
本来、別のカテゴリーのものごとであり、別々に議論を進めていくべきものだと思う。
単純に原子力発電についてだけ考えるのであれば、
原子力発電を停止することで起こるかもしれない電力不足に対する経済不安と
原子力発電を運転することで起こるかもしれない放射能汚染などの災害リスク。
この両方を天秤にかけて、本当にどちらが恐ろしいことなのか、
一人一人がちゃんと考えて答えを出してみればよいのだ。

福島第1原子力発電所は津波の被害を受け、
ここ、女川原子力発電所は幸いにも、津波の被害を免れている。
いったい、この差はなんなのだろうか。
津波に関する限り、単純に海抜、つまり、高さが重要なのだと思う。
実際に女川原子力発電所を見てみると、素人の私でさえ、
高さ15mの津波には到底対抗できるような高さに建っているとは思えない。
この地震国日本にありながら、
また今後、数百年内に再び予想される大津波に対し、
原子力発電所の災害対策は万全だと、果たして言い切れるのだろうか。

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牡鹿半島へ

仙台から車を走らせ、牡鹿半島を目指す。
あの津波の発生から1年と7ヶ月の時間が経った。
メディアでは復興、復興とよく騒がれているが、
いったい本当の現状はどうなっているのか、自分の目で確かめてみたいと思っていた。
かつては、そこに集落があったのであろう場所は、
瓦礫が片付き、ただの空き地となっている。
しかしよく目を凝らせば、かつてそこに建っていたであろう家の基礎が
草むらに隠れ残っている。
目を覆いたくなるような、あの津波後の瓦礫の散乱した風景は確かに消えた。
ただ、復興というまでにはまだまだ遠い。
そこには、働く場が無い。
今必要なのは、復興直後の災害支援という、緊急に必要な支援ではなく、
今後はそこで暮らす人たちのために、仕事を作っていくというような支援の形だ。
老子の言葉、「授人以魚 不如授人以漁」を思い出す。
「人にを与えれば一日で食べてしまうが、釣りを教えれば一生食べていける」
復興支援の形は、時間とともに変化していく。

災害は終わっていない。今後とも長期的な支援が必要だ。

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岩室の家 木の建築賞2次審査通過

仙台、東北大で開催された木の建築賞、2次選考会。
公開プレゼンを経て、「岩室の家」が2次審査を通過しましした。
今回応募してみて、個人住宅の設計において
社会性・公共性ある大きな問題提起をし、
解決案を提示していくことの大変さを思い知りました。
小さいということが言い訳にはなりませんが、
個人住宅の設計においても、クライアント要望や敷地条件に応えるだけでなく、
社会的な背景や建築業界の現状など、
より大きなテーマを頭に描いて設計を進めていくことが大事だと改めて感じました。

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レム・コールハース設計 マコーミック・トリビューン・キャンパス・センターを訪れて

ミース設計のクラウンホールの道路向かい側に建つ、
レム・コールハース設計の
マコーミック・トリビューン・キャンパス・センターへ
こちらは、IIT(イリノイ工科大学)のキャンパス内にある学生センター。
いわゆる、日本の大学で言う生協って言われているような、
学生食堂や文房具屋さん、ホールやカフェ等が納められている複合施設。
鉄道の走る高架下に建物を半地下にして納めるという複雑な構成をとる。
スロープや階段で連続していく断面構成はさすが、コールハース的。
ジグザグとした直角をもたない平面と相まって、
室内を歩いていくと、目の前には様々なシーンが次々と広がっていく。
スケール感が薄れ、どこまでも空間が続いていく様な不思議な感覚だ。
平面と断面を絡み合わせることで、
ここまで変化に富んだ空間ができるのかと、空間の妙に感心する。
静的なミースグリッドに貫かれたキャンパス計画の中にあって、
とても動的でいきいきとしたコールハースの空間。
ミースとは対照的に生命力に満ちていると感じた。
ARCHITRAVEL McCormick Tribune Campus Center

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ミース・ファン・デル・ローエ設計 イリノイ工科大学クラウンホールを訪れて

シカゴ大学を離れ、イリノイ工科大学へ向かう。
バスに乗り、約30分。
キャンパス内は、グリッド軸がきれいに通り、
道路や植栽が規律正しく並んでいる印象。
まるでキャンパスのマスタープランを行ったミースの
秩序感、規律正しさがそのまま反映されているかのようだ。
キャンパス内にはミースが設計した建物が22棟存在している。
その中でも、私が最もミースらしいと感じている建物、クラウンホールへと向かう。

緑の中に黒い建物が現れる。
緑と黒のコントラストが、とても美しい。
都市の中で見るミースの建物とは印象が異なる。
無機質な環境の中にあるよりも、このような豊かな自然の中にある方が
ミースの建物は映えるように思う。

ファンズワース邸と同時期に設計されたということもあり、
空間構成が非常に似ている。
床スラブを地面から持ち上げ、その床を支える柱は内部空間から外へと持ち出し、
室内には柱の全くない、ユニバーサルな(=均質で自由な)空間を実現している。
ファンズワース邸と異なるのは、そのスケールだ。
66m×36mという大空間を、8本の柱と4本の大梁で実現している。
クラウンホールというその名前に相応しく、堂々と佇んでいる。
 ARCHITRAVEL IIT Crown Hall

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ミース・ファン・デル・ローエ設計 School of Social Service Administrationを訪れて

シカゴ大学キャンパス内に建つ、
ミース・ファン・デル・ローエ設計のSchool of Social Service Administrationへ。
高さ1.5層くらいの細長いシンプルな建物だ。
ミースらしく、黒いスチールとガラスだけで構成されている。
まさに、ミースの唱えた「Less is more.」
(より少ないことは、より豊かなこと)が、表現されている。
白いカーテンに落ちる樹々の影が風に揺れている。
ファンズワース邸と同様、樹々の影を室内に落とすことで、
室内に居ながら、外の環境を意識させようと意図したのだろうか。
スチールの黒、カーテンの白、芝生の緑、コントラストがとても印象的だ。

ファンズワース邸やクラウンホールとは異なり、床スラブが地面と接している。
つまり、基礎が地面の上にしっかりと根を下ろしている。
そのためか、ミースの他の建物よりも安定感を感じる。
しかし、ガラスを留めつけているスチール方立ては、
あくまで地面から縁を切り、つまり、浮き上がらせて見せることで、
垂直力を受けていないと、主張させているようだ。
ARCHITRAVEL School of Social Service Administration

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エーロ・サーリネン設計 シカゴ大学法学部図書館 内部

エントランス扉を開け、内部へと入ってみる。
1階はレセプションホールのようだ。
丁度、レセプションの最中だったので階段を上がり、図書館エリアへ。
2階から上階は、法関係資料を納める図書館となっている。
中央には、吹き抜けのホール。
ワッフルスラブ天井がとても美しい。
構造がそのまま、表現として成り立っている。
外観の硬質で冷たい印象とは異なり、
内部空間は包み込まれるようなあたたかな雰囲気。
サーリネンらしい流麗なデザインに溢れている。
ソファに腰をかけると、
ついつい時間が経つのを忘れてしまうほど、居心地が良い。
ここシカゴでは、どこかよそよそしくてクールな印象の
ミース的建物を多く見てきたからか、
その対極にある、どこか人間的で包み込まれるような空間に
逆に癒されてしまうのだろうか。
ARCHITRAVEL University of Chicago Law School

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エーロ・サーリネン設計 シカゴ大学法学部図書館を訪れて

シカゴグリーンラインに乗り、シカゴ大学へと向かう。
シカゴ市内からは約30分。
まず訪れたのは、エーロ・サーリネン設計のシカゴ大学法学部図書館。
サーリネンといえば、先日訪れた
TWAターミナルの有機的な曲線がまず頭に思い浮かぶ。
しかし今回の建物は、ガラスに覆われたシャープな表情の建物。
TWAターミナルが、女性的だとすれば、こちらは男性的。
柔らかな曲線美に対して、硬質で鋭敏。とても対照的だ。
同じ設計者が同じ時期に、こうも異なるデザインを残すということが非常に面白い。
周辺環境や設計条件によって、違うルートをとれば、
このような多様な回答が生み出されてくるということなのだろう。

伝統的なゴシック様式の建物が立ち並ぶキャンパス内に
突如現れるガラスのキューブ。モニュメントのように強い存在感だ。
まるで垂直線を強調しているかのような、ガラスの方立が特徴的。
周辺の古典的なゴシック建築に敬意を表し
ゴシック的な上昇感を表現したのだろうか。
1960年時代に思い描いた未来の建築。
その新しさの中に、ゴシック的な懐かしい香りが漂う。
この何とも言えないバランス感覚。秀逸だ。
ARCHITRAVEL University of Chicago Law School

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ミース・ファン・デル・ローエ設計「ファンズワース邸」を訪れて

ミース・ファン・デル・ローエが設計した中で世界的に有名な建物といえば、ファンズワース邸だろう。シカゴを訪れた際には、実際に見てみたいと以前から思っていた建物だ。今回は、シカゴ建築財団が主催している見学ツアーに参加してみる。一日かけてバスでシカゴ市内のミースが設計した建物を巡り、最後にファンズワース邸を訪れるというもの。

高速道路を約1時間走り、シカゴ郊外へ。窓の外を見渡すと、どこまでも麦畑が広がる。雑木林の残る一角でバスを降り、小さな小道を抜けていく。暫く歩くと、緑の木立の奥に、真っ白な建物が突如現れる。

オブジェのようだ。繊細なガラスとスチールの物体。華奢な細いスチール柱で支えられた屋根と床、2枚の板。最初に感じたのは、非現実感だった。別荘というより、純粋建築といった佇まい。ただただ美しい。美しさの他に建築に何が必要というのか、と建物が語りかけてくるよう。まるで人が住むことを拒んでいるような建築。「生活することを禁じられた別荘」究極のニヒリズム。

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