距離を設計する|ベラビスタとスーホルム

ベラビスタをビーチから望む

コペンハーゲン滞在中、ベルビュービーチの周辺を何度も歩きました。

宿泊していた場所から近かったこともあり、早朝に歩いたり、夕方に立ち寄ったり。夏のデンマークは日が長く、夜10時近くになっても、海辺には思い思いに時間を過ごす人たちの姿がありました。

東に開けた海から朝日が昇り、夜になると海峡の向こうにスウェーデンの街の明かりが見える。

時間を変えて何度か訪れているうちに、この場所にはいつも誰かがいることに気づきました。

周囲は静かな住宅地です。それなのに、住宅街を歩いているときに感じるような、よそ者が入り込んでいる感じがあまりありません。

海辺で過ごす人、散歩する人、集合住宅で暮らす人。それぞれが同じ場所にいながら、互いに干渉することなく過ごしている。

誰でもここにいてよい。そんな自由さを、この場所には感じました。

そして何度も歩きながら建物を眺めているうちに、その居心地のよさは、海があるからだけではないように思えてきました。

海を見るための雁行

ベルビュービーチから幹線道路を挟んだ向かい側に、白い集合住宅「ベラビスタ」が建っています。ベラビスタには16年前にも一度訪れています。当時の記事でも、この建物の特徴として雁行型の平面形状が気になっていました。

海側から眺めると、住戸が少しずつずれながら並んでいることが分かります。そのずれによってできたバルコニーに面して、二つの室の窓が見えます。

どの住戸からも海を見られるように考えられているのだろう。

特にリビングと思われる部屋の窓は、建物の角を回り込むようにつくられています。

窓からの視線は、建物に対して斜めに抜けています。その先にあるのは、エーレスンド海峡です。

ヴェラビスタから海峡方向を見る

ただ、住戸と海との間にはStrandvejenという幹線道路が通っています。

もし海を見ることだけを考えるなら、海に向かって窓を開けばよい。けれども、そうすると道路とも真正面から向き合うことになります。

住戸を雁行させ、角に窓を設ける。

そうすることで、道路とは斜めに向き合いながら、その先の海へと視線を抜く。

物理的には道路との距離は変わっていません。道路の存在を意識から遠ざけ、その先にある海へと意識が向かうようにしたのではないか。外から眺めているだけでも、そんなことが想像できました。

隣り合いながら、視線をずらす

住戸を雁行させることで生まれているのは、海への眺望だけではありません。

海側から建物を眺めていると、隣り合う住戸の窓やバルコニーが、互いに少しずつずれていることに気づきます。

ベラビスタの雁行するバルコニーを見る

住戸同士の距離は近い。それでも、窓から海を見る方向には隣の住戸が入らず、互いの暮らしが視界に入りにくい。

海へ大きく開きながら、それぞれの暮らしは守られています。

住戸を少しずつずらす

それだけの操作で、海への視線を確保しながら、隣り合う住戸との間にも程よい距離が生まれていました。

物理的には近くても、近すぎるとは感じない。そんな距離のつくり方が、この雁行にはあるように思いました。

少し持ち上げられた住戸

道路側へ回って建物を見ると、もう一つ気づくことがありました。

一階の住戸は、道路よりも半階ほど高い位置にあります。

道路レベルから持ち上げられた住戸

道路から窓越しに、室内の様子がそれとなく見える。それでも、住宅街で他人の家の前に立っているときのような、暮らしを覗き込んでいる感じがあまりありません。

道路を歩く人と室内にいる人の目線の高さが、ずれているからでしょう。

塀で隠しているわけでも、道路から建物を大きく離しているわけでもない。

床を少し持ち上げる

それだけで、道路と住戸との間に程よい距離が生まれています。

そして、この高さにはもう一つ意味があるように感じました。

住戸と海との間には、幹線道路とベルビュービーチがあります。下階の住戸から海を見ようとすれば、できるだけ視線を高くした方が、その先まで見通しやすい。

道路からの視線を少しずらしながら、その先にある海への視線は確保する。

ここでも、暮らしを守ることと海へ開くことが、一つの操作によって同時に成立しているように見えました。

建物から海までを考える

住戸から海への視線を考えていると、ベラビスタだけを見ていては分からないことがあるように思えました。

ベラビスタと海との間には、幹線道路とベルビュービーチがあります。

ところが、ビーチにある更衣室などの施設は、地面から大きく立ち上がっていません。高さが低く抑えられ、一部は地面に埋め込むようにつくられています。

そのため、道路側から海を見ても、建物が視線を遮らない。

一方、その道路を挟んだベラビスタ側では、下階の住戸が地面から少し持ち上げられています。

ベラビスタ・道路・ビーチのレベル差を見る

海側の建物は道路よりも低く抑え、反対側の住戸は道路より少し持ち上げる。

そうして見ると、それぞれの建物を別々に考えているというより、住宅から道路、海岸、そして海峡まで、一つの断面として考えられているように見えてきます。

ベルビューには、ベラビスタだけでなく、海水浴場や劇場など、ヤコブセンが手掛けた建物がいくつもあります。

何度もこの場所を歩いて感じたのは、個々の建物の形以上に、それらがどこに、どの高さで置かれているかということでした。

建物を単独で設計するというより、その建物と周囲との関係を設計する。

ベルビューという場所の居心地は、そんなところから生まれているのかもしれません。

まったく違って見えるスーホルム

ベラビスタから少し離れた場所に、同じくヤコブセンが設計した集合住宅「スーホルム」があります。

1930年代に建てられたベラビスタに対して、スーホルムが建てられたのは1950年代。二つの集合住宅の間には、16年の時間があります。

スーホルム外観を見る01

白い壁と水平なラインが印象的なベラビスタに対して、スーホルムではレンガの壁と勾配屋根が使われています。

二つの建物を見比べると、同じ建築家が設計したとは思えないほど印象が違います。

ベラビスタには、白い壁と水平線による明快さがあります。連続する窓、雁行する住戸。その形は遠くから見ても分かりやすい。

一方、スーホルムはずっと控えめです。低い建物が樹木の間に並び、レンガの色も周囲の風景に馴染んでいます。ぱっと見ただけでは、その特徴がすぐには見えてきません。

建物のまわりを歩いていると、住戸が一直線に並んでいないことが分かります。

道路に対して斜めに置かれた住戸が、少しずつ位置をずらしながら並んでいます。ベラビスタと同じ雁行配置です。ただ、ベラビスタほど、その形が強く表に現れているわけではありません。

そして、住戸の窓の先にあるのは、ここでもエーレスンド海峡です。

形も素材もまったく違う。

スーホルムにも16年前に訪れています。当時は、ベラビスタとはまったく違う素材や佇まいが気になり、二つの建物の間にある16年間で、ヤコブセンの考え方に何か変化があったのだろうか、と考えていました。

それでも、今回あらためて二つの建物を見ていると、どこか共通する考え方があるように思えてきました。

形は違っても、考えていることは同じ

どちらも住戸を一直線に並べるのではなく、少しずつずらしています。また、下階の住戸を地面から少し持ち上げていることも共通しています。

平面ではずらし、断面では持ち上げる

その結果、海への視線を確保しながら、道路や隣り合う住戸との間には程よい距離が生まれています。

海へ開くことだけを優先しているわけではない。かといって、暮らしを守るために外へ閉じているわけでもありません。

海への眺望、道路との関係、隣り合う住戸との距離

どれか一つだけを優先するのではなく、それぞれの条件の間に、ちょうどよい関係を探しているように見えました。

ベラビスタでは、白い建物を雁行させ、角に窓を設ける。

スーホルムでは、レンガの住戸を斜めに置き、少しずつずらして並べる。

スーホルムのずれた配置

出来上がった建物の形は違っても、形をつくる前に考えていることは、よく似ているのかもしれません。

距離を設計する

二つの集合住宅を見ながら思い浮かんだのは、距離というものは、単純な寸法だけでは決まらないということでした。

道路から建物を大きく離さなくても、床を持ち上げれば、道路を歩く人と室内にいる人の視線はずれる。

隣り合う住戸の距離が近くても、建物をずらせば、互いの暮らしは視界に入りにくくなる。

海との間に幹線道路があっても、窓の向きを変えることで、道路よりもその先にある海へ意識を向けることができる。

幹線道路よりスーホルムを見る

物理的な距離は同じでも、建物の配置や高さ、窓の向きによって、感じる距離は変わります

これは、住宅を設計するときにも同じことが言えます。

道路からの視線が気になるから塀を立てる。隣家が気になるから窓を小さくする。そうすれば暮らしを守ることはできますが、同時に外との関係も閉じてしまいます。

建物をずらす。床を上げる。窓の向きを変える。

そんなわずかな操作によって、外へ開いたまま、暮らしを守ることもできる。

ベルビューを何度も歩いて感じた、誰でもここにいてよいという自由さ。

ベルビュービーチを見る

住宅と地域を隔ててしまうのではなく、つながったまま、互いに干渉しすぎない。

ヤコブセンが設計していたのは、建物そのものだけではなく、人と人、暮らしと海、そして住宅と地域との間にある、そんな距離だったのかもしれません。

何度もこの場所を歩きながら、そんなことを考えました。