
ベルビュービーチを訪れてまず印象に残ったのは、建築ではなく海でした。
海岸沿いの道路を歩いていると、東にはエーレスンド海峡が大きく広がっています。
けれど、道路と海との間には何もないわけではありません。更衣施設やキオスク(海水浴客のための売店)、カヤッククラブなど、アルネ・ヤコブセンが設計したいくつもの建物が建っています。
それなのに、道路から海を眺めていると、それらの建物の存在をほとんど感じません。
ただ、海と空が広がっている。
建築を見に来たはずなのに、建築よりも海の方が強く印象に残ります。
何日かこの場所を歩いているうちに、なぜそう感じるのだろう、と考えるようになりました。
海への視線の下に建築を収める
改めて海岸沿いの建物を見てみると、どの施設も驚くほど高さが低くつくられていることに気づきます。
キオスクは砂浜の脇に独立して建っていますが、道路側から見ると、その屋根は手すりよりも低い位置にあります。

カヤッククラブはさらに特徴的です。横から見ると、建物が傾斜した地形の中に沈み込むように建っています。道路側に向かって地面が高くなり、建物のボリュームが次第に地形の中へ隠れていきます。
これは偶然ではなさそうです。
1932年につくられた更衣施設も、背後の公園から海への眺望を確保するため、斜面の中に組み込まれています。屋根の上まで芝生を連続させることで、建物によって海への視線が遮られないように計画されていました。
低い建物をつくった、というだけではないのだと感じました。
海への視線の下に、建築を収める。
そう考えると、道路から海を見たときに、建物があるにもかかわらず、ただ海と空が広がっているように感じた理由が少し分かってきました。
なぜ、ここに太い丸太なのか
砂浜へ降り、今度は海側から建物を眺めてみます。
そこで気になったのが、パーゴラを支える太い丸太柱でした。
キオスクにも、カヤッククラブにも、白い建物から外へ伸びるパーゴラがあります。その先端を支えているのが、樹皮を剥いだ丸太柱です。

カヤッククラブの丸太柱を近くで見ると、節や割れ、表面の凹凸までそのまま残っています。均質な白い外壁とは対照的で、木そのものの存在を強く感じます。
しかも、その丸太は垂直ではなく、斜めに立てられています。
パーゴラを支えるだけなら、これほど太く存在感のある丸太でなくてもよかったのではないか。もっと細い柱にして、存在感を消すこともできたはずです。
それでもヤコブセンは、太い皮剥ぎ丸太を使い、それをあえて斜めに並べています。
なぜ、ここに丸太なのだろう。そして、なぜ斜めなのだろう。
白い建築と砂浜のあいだ
丸太柱が使われている場所を見ていると、もうひとつ気づくことがあります。
キオスクでもカヤッククラブでも、丸太柱は建物本体ではなく、白い建物から外へ伸びたパーゴラの先端に立っています。
丸太柱の先にあるのは、白い砂浜と海です。
白い建物からパーゴラが伸び、その先端に太い丸太柱が立ち、その向こうに砂浜と海が広がっている。
もしパーゴラも丸太柱もなければ、砂浜の上に白い箱が、ぽんと置かれたように見えたかもしれません。
ところが実際には、建物と砂浜の間にはパーゴラがあります。屋内でもなく、砂浜でもない。その中間のような場所です。
さらに、その一番外側にあるのが、節や木肌を残した皮剥ぎ丸太柱です。
海側から建物を眺めていると、この丸太柱とパーゴラが意外なほど強く目に入ります。特に陽が射すと、丸太柱とパーゴラの影が白い壁に伸び、建物の表情を変えていました。
丸太柱そのものは、決して存在感を消しているわけではありません。白い外壁とは対照的で、むしろ強く見えます。
けれど、その丸太柱や影に目が向くことで、背後にある白い箱の存在感は、少し弱くなっているように感じました。
白い建築から、パーゴラへ。
パーゴラから丸太柱へ。
そして、砂浜から海へ。
建築と自然を直接ぶつけるのではなく、その間に少しずつ性格の異なるものを挟むことで、切り替わりを整えているようにも見えます。
太い丸太柱を、あえて斜めに立てた理由も、そこにあるのかもしれません。
ヤコブセンが実際にそう考えていたのかは分かりません。ただ、この場所に立っていると、丸太が単なるパーゴラの柱以上の役割を果たしているように思えてきます。
気がついたら、海岸にいる
建物を見ながらベルビュービーチを何度か歩いているうちに、もうひとつ、この場所について気づいたことがありました。
道路から海岸へ向かって歩いても、ここから海岸に入る、という境界をほとんど感じないのです。
道路があり、芝生があり、建物があり、その先に砂浜と海があります。それぞれ違う場所であるはずなのに、どこかで明確に切り替わったという感覚がありません。気がついたら、すでに海岸にいた。そんな感じです。

先ほど見たパーゴラにも、少し似ています。
白い建物から、パーゴラへ。丸太を越えて、砂浜へ。その先に海がある。
建物と砂浜を一本の線で分けるのではなく、その間に少しずつ性格の異なる場所が挟まれています。
ベルビュー全体にも、同じような関係があるように感じました。
道路から海岸へ向かって歩いていくと、場所の性格は少しずつ変わっていく。けれど、その境界を強く意識することはありません。
だからなのか、この場所には、ここにいてもいい、と自然に思える雰囲気がありました。
建築が一歩引くことで

ベルビュービーチでは、人々がそれぞれの時間を過ごしていました。
海で泳ぐ人。砂浜に寝転んで昼寝をする人。ビーチバレーをする人。芝生に食べ物を広げて、ピクニックを楽しむ人。何をするでもなく、ただ海を眺めている人もいます。
誰もが思い思いの場所を見つけ、それぞれの時間を過ごしていました。ここでは、建築が人の過ごし方を強く決めているようには感じません。
キオスクや更衣施設、カヤッククラブなど、必要な建物はきちんとあります。それでも、それらが場所の中心に立って、人の振る舞いを決めているわけではありません。
むしろ、建築は少し一歩引いているように感じます。
海への視線を遮らないように低く建つ。地形の中へ建物を沈める。白い建物と砂浜の間には、パーゴラや丸太柱を挟む。
建築の側はかなり細かく調整されているのに、人の側には余白が残されています。
何も決めないから自由なのではなく、建築が一歩引くことで、人が自由に振る舞える場所が残されている。
ベルビューで感じた、誰でもここにいていい、という空気は、そんなところから生まれているのかもしれません。
何をつくるか、何を邪魔しないか

良い場所には、建築が建つ前から、すでにその場所の魅力があります。
海があり、空があり、地形があり、そこから見える風景がある。
そこに建築をつくるとき、何を付け加えるかを考えることはもちろん大切です。でも同じくらい、すでにそこにあるものを、建築によって邪魔しないことも大切なのだと思います。
ベルビューでは、海への視線を残すために建物を低くし、地形の中へ建物を沈め、建築と砂浜との間にはパーゴラや丸太柱が置かれていました。
建築をなくしているわけではありません。近づけば、一つひとつの建物にはヤコブセンらしい強い造形があります。
それでも、少し離れると建築は一歩引き、海や空が前に出てきます。
何をつくるかと同じくらい、何を邪魔しないか。
建築の側を丁寧に調整することで、その場所がもともと持っている魅力を残し、そこにいる人の自由さも残すことができる。
ベルビュービーチを歩きながら、設計とは、そんな関係を整える仕事でもあるのだと改めて感じました。