柏崎刈羽原子力発電所で、思う

新潟に生まれ、柏崎刈羽に原発があることを知りながら、
未だ原発というものを見たことが無かった。
つまり、3月11日に福島第一原発が事故を起こすまで
原発が私たちの社会にどのように関わり、どのような影響があるのかについて、
無知であり、無関心であった。
今回、3.11地震により原発事故が発生し、
原発は自分にとって目を逸らせないものとなった。
友人には、日本中の原発を撮影している写真家もおり、
その写真やネット上の情報から、
原発という存在がどんなものであるのか、
なんとなくではあるが、自分なりに頭では想像していた。
しかし、考えるだけでなく、
このタイミングで原発というものを実際に目にし、
その場の空気感じ、五感で感じることが必要だと思った。
考えることと、感じることは決定的に異なる行為だ。
柏崎刈羽村は前にも何度も訪れたことがあった。
しかし、原発施設を目にすることはなく、ただ通り過ぎるだけの街であった。
意図的なものなのか、周辺道路を通過するだけでは、
その存在を取り立てて意識することはない。いたって普通の漁村の風景だ。
漁村に車を停め、海岸へと下りる。
目の前には美しい海岸が広がる。
しかし、ふと横を見ると、そこには無機質な建物群。
ぶっきらぼうに、突然、現れる。
漁村のすぐ目の前に、驚くほどあっけらかんと存在している。
初めて見る原発。ひっそりと不気味に、強い存在感を放っている。
この原発がとてつもない数の人々に、
不幸と恐怖をもたらす危険性を持っているという事実。
情報だけでは得ることが出来ない、この場所の空気感。
原発を目の前にして、今後の自分たちの未来を考える。
この原発が私たちの未来にとって本当に必要なものなのか?
原発は、政治や社会の問題ではなく、私たちの前にある事実だ。
一人一人が考えていかなければならない。

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