カステル・ヴェッキオを、もう一度歩く

7年前に訪れた、イタリア・ヴェローナのカステル・ヴェッキオ博物館。当時、この建築に惹かれ、一つの記事を書きました。

最近、当時撮った写真を改めて見返していました。建築は何も変わっていないのに、写真から受ける印象が当時とは少し違っていました。

この7年間、多くの住宅を設計し、多くの人と対話し、建築について考えてきました。だからでしょうか。当時は言葉にできなかったことが、写真を見返しているうちに少しずつ見えてきたような気がします。

当時の写真を見返しながら、7年前の自分と対話するように、もう一度この建築を歩いてみようと思います。

その都度、答えを探す

カステルビッキオ展示方法

写真を見返していて、最初に気になったのは展示方法でした。建物の中を歩いていた時にも感じましたが、作品ごとに、展示する場所も、高さも、光の当て方もそれぞれ違っています。

壁壁際に静かに置かれたものもあれば、空間の中央に置かれたもの、壁に掛けられたものもあります。展示台の形も、一つとして同じものはありません。

彫刻の展示室

最初は、その自由さが印象に残っていました。でも改めて見返してみると、自由なのではなく、一つひとつの作品にとって最もふさわしい答えを探した結果なのではないかと思えてきました。

建物の中を歩いていると、作品を鑑賞しているというより、一つひとつの作品との出会いを体験しているようでした。

建物が、次の展示へと静かに導いてくれているような感覚も、設計者が一つひとつの展示に丁寧に向き合った結果として生まれていたのかもしれません。

素材を整える

次に目に入ったのは、細部でした。

手すりや建具はもちろん、作品を支える展示台や固定金具に至るまで、一つひとつ丁寧にデザインされていました。どこを見ても隙がなく、それでいて強く主張することもありません。

手すりディテール

普通これだけ細部まで設計されると、設計者の存在が前に出てきます。「ここを見てほしい。」そんな意図が伝わってくる建築も少なくありません。

でも、スカルパの建築では、それを感じませんでした。むしろ、気を付けて見なければ見逃してしまうほど自然と馴染んでいます。

素材の組合せ

写真を見返していて思ったのは、設計者スカルパは素材をデザインしているというより、それぞれの素材が最も素材らしく見えるように整えているのではないか、ということでした。

木は木らしく。鉄は鉄らしく。石は石らしく。

素材の性質や加工方法に逆らうことなく、その魅力が自然に現れるように納まりが整えられていました。

固定金具ディテール

だからでしょうか。細部を見ていても、設計者の存在を強く意識することがありません。目立っているのはデザインではなく、素材そのものです。

設計者が前に出るのではなく、一歩引いたところで素材を静かに整えている。そう感じました。

自然な関係を探す

7年前も一番印象に残ったのは、新旧が自然に調和していることでした。

古い石積みに、新しい鉄やガラスが添えられている。

本来なら違和感が生まれても不思議ではない組み合わせです。それなのに、まるで以前からそこにあったような感じでした。

新旧の組合せ

写真を見返して考えました。なぜ違和感がないのだろう。

古い石積みと新しい鉄。

それぞれ作られた時代も違えば、素材も加工方法も違います。普通なら互いの違いを強調し合ってしまいそうです。

考えていて思ったのは、スカルパは互いを引き立てようとしているのではなく、それぞれが自然に存在できる関係を探しているのではないか、ということでした。

石は石のままです。鉄は鉄のままです。ガラスも変わりません。変わるのは、それぞれの関係なのかもしれません。

石、鉄、大理石

例えば、石の厚みに対して鉄が少し厚すぎるだけでも印象は変わるでしょう。

鉄の割合が少し大きいだけでも、石との釣り合いは崩れてしまいます。端部の納まりが少し荒いだけでも、石との調和は失われてしまうかもしれません。

つまり、モノそのものではなく、関係のわずかな違いが空間全体の印象を決めているのではないか。

石はより石らしく。鉄はより鉄らしく。互いが互いの存在を静かに引き立てているように思えました。

それは意図的に引き立てようとしたというより、自然な関係を丁寧に探した結果、生まれたものなのかもしれません。

見え方は変わる

写真を見返しながら、7年前の自分と対話してきました。

当時も、この建築に強く惹かれていました。でも、その理由を言葉にすることはできませんでした。

今回改めて写真を見返していて思ったのは、建築は何も変わっていないのに、自分の見え方が少し変わっていたということです。

7年前には見えていなかったものが、少しだけ見えてきたような気がします。でも、きっとこれが答えではありません。

数年後にもう一度写真を見返したら、また違うことが見えてくるのでしょう。

いつかもう一度、この建築を歩いてみたいと思います。