設計者は居心地をつくれるのか

障子に落ちる影

家族で同じ家に住んでいても、お気に入りの場所はそれぞれ違います。

朝の光が差すダイニングの隅。階段に腰かけて庭を眺めるひと時。夜になると、明かりを少し落とした場所に身を置きたくなる人もいる。

不思議なもので、誰かにとっての特等席が、別の誰かには何でもない場所だったりします。同じ人でも、疲れた日と元気な日とでは、選ぶ場所が変わります。居心地のいい場所は、人によって違う。その日によっても違う。

では、その居心地は——設計者がつくったものなのでしょうか。

設計者は、居心地をつくれない

いくつもの住宅を設計してきました。けれど、居心地そのものを設計できると思ったことは、一度もありません。

こう書くと、意外に聞こえるかもしれません。設計のプロなら、居心地のいい家をつくれて当然ではないか、と。

たしかに、明るさや広さ、天井の高さは、図面の上で決められます。素材も、光の入り方も、設計で整えることができます。以前、その場所ごとの雰囲気——空気感——を整えるのが設計者の仕事だと書きました。→「設計とは、空気感をつくる仕事

けれど、空気感は整えられても、居心地まで決めることはできません。

同じ場所でも、感じ方は人によって違います。同じ人でも、その日の体調や気分で変わる。設計者が「ここが落ち着く場所です」と用意しても、住む人がそう感じるとは限りません。

では、居心地とは、いったいどこにあるのでしょうか。

人は、部屋名どおりには暮らさない

窓際のカウンター

竣工して、しばらく経った住まいを訪ねると、思いがけない話を聞くことがあります。設計のときに想定していた使い方と、実際の暮らしが、違っている。良い意味で予想を裏切る使い方をしていることがある。

寝室として計画した部屋で、朝食をとっている。広く明るくつくったリビングではなく、その隣の小さな一角が、家族の集まる場所になっている。ご主人の書斎として作ったカウンターは、子供の勉強場所になっている。

平面図には、LDK、寝室、書斎と、それぞれに部屋名が書かれています。けれど、その部屋名は、設計者が、ここはこう使うだろう、と用途を当てはめたものにすぎません。住む人は、その名前どおりには暮らしません。

朝の光が気持ちいいから、そこで食べる。天井が低くて落ち着くから、そこに座る。理由を聞かれても、うまく説明できないことのほうが多い。人は、部屋の用途ではなく、その時々の心地よさで、場所を選んでいるからです。

では、その心地よさは、どこから来るのでしょうか。断熱を高め、動線を整え、性能のいい家をつくれば、居心地もよくなるのでしょうか。

快適な家が、居心地のいい家とは限らない

断熱を高め、耐震性を上げ、動線を整える。明るさや室温を数値で確かめながらつくる。こうした快適さは、設計でつくることができます。性能は、図面と計算の延長線上にあるものだからです。

住まいの性能は、とても大切だと考えています。寒い家、暗い家、使いにくい家では、落ち着いて暮らすことはできません。快適さは、暮らしの土台になります。けれど、土台が整えば、そのまま居心地もよくなるのかというと、そうとは限りません。

性能の高い新しい家にいるのに、どこか落ち着かない。逆に、決して暖かくはない古い家——たとえば祖父母の家のような場所が、なぜか落ち着く。そんな経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。

快適さは、家そのものが持つことのできる性質です。測ることができ、つくることができる。けれど居心地は、家の側だけにあるのではありません。

同じ家でも、ある人には居心地よく、別の人には物足りない。同じ人でも、疲れた日と元気な日とでは、感じ方が変わる。居心地は、家自体が持っている性質ではなく、人とその場所が出会ったときに、その場に生まれるものだからです。

障子戸と雪

ここで以前に書いた記事とつながります。家の中には、性格の違ういくつもの居場所がある(→「家は小さな居場所の集まりでできている」)。その場所ごとの雰囲気を、設計者は空気感として整える(→「設計とは、空気感をつくる仕事」)。そして居心地は、その整えられた場所と、住む人のその時の状態とが重なったところに、立ち上がります。

だとすれば、設計者にできるのは、人によって違う居心地を直接つくることではなく、その人に合った場所を用意することなのかもしれません。では、その「その人に合った」を、設計者はどうやって掴めばよいのでしょうか。

要望の奥にあるものを、空間へ翻訳する

設計の最初に行うことは、ヒアリングです。どんな家にしたいか、どんな暮らしをしたいか。要望を聞き、整理し、設計へと反映していく。

けれど、ヒアリングで大切にしているのは、要望をそのまま受け取ることではありません。その言葉の奥にある、価値観や感覚を探ることです。

広い玄関が欲しい、という要望があったとします。けれど話を聞いていくと、本当に求めているのは広さではなく、来客を迎えたときの見え方だった、ということがあります。それならば、広さよりも、玄関に入ったときの視線の抜けや、照明の整え方を考えるほうが、求めているものに近づきます。

広いリビングが欲しい、という場合も同じです。求めているのは面積ではなく、開放感だったりもする。開放感は、大きな窓と高い天井で生まれることもあれば、隣の空間との明暗差や、視線の抜けから生まれることもある。

人は、本当に求めているものを、正確に言葉にできるとは限りません。広い玄関、広いリビングは、その奥にある感覚を言葉に変換しようとした、一つの表現にすぎないのかもしれません。

だから対話が必要になります。「それはなぜですか?どんなときにそう感じますか」。一つひとつの要望を、少し奥まで掘り下げていく。その先に、その人が本当に求めている空間の手がかりが見えてきます。

それを、空間の言葉に翻訳するのが、設計者の仕事だと思っています。ただ、翻訳はできても、押し付けてはいけません。

隅々まで、決め込まない

土間空間

要望の奥を読み取り、空間へ翻訳する。そう書くと、設計者がすべてを見通して、暮らしを隅々まで設計しているように聞こえるかもしれません。けれど、実際はそうではありません。

どれだけ対話を重ねても、その人の感覚を、完全に掴みきれるわけではない。そして人は、その日その時で変わります。今日心地よかった場所が、明日も心地よいとは限りません。

だから、設計者が過ごし方まで決め込まないようにしています。ここで食事をして、ここでくつろいで、と一つひとつ用途を固めてしまうと、暮らしはかえって窮屈になります。決めるのは、場所の性格まで。そこで何をするかは、住む人に委ねておく。

思い返せば、設計の想定を超えた使い方は、たいてい、その余白から生まれていました。書斎のつもりのカウンターが、子供の勉強机になる。決め込まなかったからこそ、住む人が自分に合った使い方を見つけられたのだと思います。

良い設計とは、隅々まで決めることではないのかもしれません。むしろ、決めないでおく部分を、どこに残すか。ここから先をつくるのは、住む人です。

居心地が育つ環境を整える

家が完成し、鍵を渡したその日から、住まいは少しずつ、その人のものになっていきます。どこで朝を過ごすか。どんな時間を重ね、どんな思い出をつくっていくか。それはもう、設計者が決めることではありません。

家具が運び込まれ、本が並び、暮らしの道具が増えていく。子供が育ち、家族の形も少しずつ変わっていく。住む人はその家を使いながら、自分に合った場所を、一つずつ見つけていきます。

完成したばかりの家は、まだただの器にすぎません。そこに暮らしが重なり、時間が積もって、はじめて居心地は育っていきます。

だから私は、引き渡しのときに、設計が終わったとは思っていません。何年も経って訪ねたとき、その家が気持ちよく使い込まれている。住む人が、自分なりにその家を住みこなしている。そういう姿を見たときに、ようやく設計が成り立ったのだと感じます。

和室でくつろぐ子供たち

家の主役は、建築ではありません。そこで営まれる暮らしのほうです。建築は、その暮らしを引き立てる脇役でいい。前に出すぎず、けれど確かに、その人の居心地を支えている。そんな存在にしたいと思っています。

広いこと、明るいこと、天井が高いこと。それ自体が、良い家の正解というわけではありません。誰かにとっての心地よさが、そのまま自分の心地よさになるとは限らないからです。

大切なのは、自分にとっての居心地とは何かを少しずつ知っていくことです。朝、自然と足が向かう場所。一日の終わりに、明かりを落として身を置く場所。そうした小さな手がかりの中に、自分の居心地は隠れています。

そして人は、変わり続けます。今日心地よい場所が、十年後も同じとは限りません。だから家づくりとは、一つの正解を探し当てることではなく、自分なりの居心地を暮らしながら育てていくことです。

ぜひ、こちらの記事も合わせてお読みください。

→「設計とは、空気感をつくる仕事

→「家は小さな居場所の集まりでできている