家づくりの相談が始まると、たいてい早い段階で、こう聞かれます。
「どんな間取りになりますか」
その気持ちはよくわかります。家を思い描くとき、多くの人がまず考えるのは、部屋の数や配置、広さだからです。
けれど、私は占い師ではありません。黙って座っていれば、その人にぴったりの間取りを言い当てる——そういう仕事ではありません。
部屋数や広さのご要望をうかがって、図面にまとめるだけなら、そう時間はかかりません。ただ、要望を満たすことと、その人に合った住まいをつくることは、少し違うように思います。
だから私は、最初に図面を描きません。
図面は出発点ではなく答えである
図面は、家づくりのスタートのように見えます。けれど設計者にとって、図面は出発点ではありません。むしろ、後から現れてくるものです。暮らしを理解し、価値観を探り、その積み重ねの先に、はじめて図面が現れてきます。
順番が逆なのです。問いがあって、答えが出る。図面は、その答えのほうです。
だから、いきなり図面から描き始めるのは、問いを確かめないまま、答えだけを先に出すようなものです。
線を引くのは、もう少し後でいい。まず知りたいのは、その人にとっての心地よさです。けれど、それは、簡単に言葉にできるものではありません。
要望の奥にあるもの
言葉にできない心地よさは、多くの場合、要望という形で現れます。
要望は、すでにその人なりの答えのひとつの形です。暮らしのなかの想いが、いつのまにか間取りの言葉へと翻訳されている。けれどその翻訳は、本人も気づかないうちに起きています。だから設計者は、要望をそのまま受け取らず、その奥にある願いのほうを探します。
たとえばある計画で設計の際、書斎が欲しいと言われたことがありました。
書斎という言葉から、多くの人は小さな個室を思い浮かべます。けれど、なぜ書斎が欲しいのかを一緒にたどっていく過程で見えてきたのは、少し違う願いでした。
リビングも、ダイニングも、家族みんなの場所です。寝室でさえ、自分ひとりのものではありません。家のなかを見渡すと、自分だけの場所が、どこにもない。欲しかったのは書斎という部屋ではなく、家のなかにひとつ、自分だけに属する場所だったのです。
とはいえ、その場所に閉じこもりたいわけではありません。家族の気配が感じられないのは、少しさみしい。自分だけの場所は欲しいけれど、家族から切れてしまいたいわけではない。本当に欲しかったのは、隔離された部屋ではなく、気配を感じながら、自分の世界に入れる場所だったのです。
そうして生まれたのが、キッチンの脇の小さなカウンターコーナーでした。

リビングの気配を背中に感じながら、椅子に腰掛け一人で過ごせる場所。カウンター脇には窓があり、外の庭木を眺めることができます。家のなかで、いちばん人の動きが多い台所のすぐ隣に、自分だけの場所が生まれました。
一人になれる場所は、壁とドアで閉じなくても、つくることができます。背中に感じる気配と、外へ抜ける視線。そんなちょっとした設えでも、人は一人になれます。
書斎という言葉の奥にあったのは、そういう場所だったのです。
書斎が欲しいという要望を、そのまま個室として図面に起こしていたら、このカウンターは生まれなかったでしょう。残るのは、いつのまにか物置になった、誰の場所でもない一室だったかもしれません。
図面には、そういう怖さもあるのです。
図面を見ると見えなくなるもの

図面というのは、とても強い道具です。
頭のなかでいくら言葉を重ねても、空間はぼんやりとしか像を結びません。けれど一枚の図面が出てくると、それが急にはっきりと頭の中に立ち上がります。ここに玄関、ここにリビング、ここに窓。曖昧だったものが、明確な形を持ちはじめます。
だから図面が出てくると、話が前に進んだような気がします。実際、図面には打ち合わせを進める力があります。
けれど、その強さには、もうひとつ別の面があります。
一度、具体的な図面を目にすると、人はその案を前提にして考え始めます。この部屋をもう少し広く。窓をもう少し大きく。気がつくと、目の前の図面を前提に話を進めるようになっていきます。
それ自体は、悪いことではありません。けれど、そのとき、まだ描かれていない別の可能性は、どこへ行ったのでしょうか。
図面に描かれたものは、はっきりと見えます。けれど、描かれなかったものは、見えません。書斎という部屋がいったん描かれてしまえば、たとえば台所の脇のカウンターのような答えは、思い浮かぶことすらないかもしれません。あったかもしれない選択肢が、最初から無かったことになります。
これは、相談に来られた方だけの話ではありません。設計者自身も、早く描きすぎると、自分の最初の案に縛られます。線を引いた瞬間に、その線が、考えの枠になってしまうからです。
だから計画初期の段階では、私はあえて、ペンを置いたままにしておきます。
図面を描かないのは、描けないからではありません。まだ可能性を閉じたくないからです。どんな暮らしがふさわしいのか——その答えがいくつも開かれた状態を、もう少しだけ、保っておきたいのです。
空間を考える前に人を理解すること
では、ペンを置いているあいだ、設計者は何をしているのでしょうか。
していることは、ひとつです。その人を知ることです。
私が知りたいのは、部屋の数でも、広さでもありません。どんな時間を、その人が大切にしているのか。一日のうちのどんなひとときに、ほっとするのか。どんな場所にいると落ち着くのか。
だから、家とは少し離れたことを質問することもあります。休日は、どんなふうに過ごしたいですか。好きな場所やよく行くお店はありますか。子どもの頃、気に入っていた場所はありましたか。普段、どんな音楽を聞きますか。
一見、家づくりとは関係のない話に思えるかもしれません。けれど、その人にとっての心地よさは、たいてい、過去のどこかにしまわれています。よく覚えている風景、なぜか落ち着いたあの場所。そうした記憶のなかに、本人も気づいていない手がかりが残っているのです。
書斎の話も、言葉の奥にある暮らしを一緒にたどっていったからこそ、台所の脇という答えにたどり着けたのだと思います。
設計者は、答えを言い当てる人ではありません。冒頭で、占い師ではない、と書いたのは、こういう意味でした。できるのは、その人自身もまだ気づいていない価値観を、隣で一緒に探していくこと。設計者は、答えを持っている人ではなく、伴走者なのだと思います。
だから設計とは、空間を考える前に、まず人を理解しようとする行為なのだと、私は考えています。
そして、その理解は、設計者だけのものではありません。
家づくりは、自分を知ることから始まる
その人を理解しようとすることは、裏返せば、その人が自分自身を知っていく時間でもあります。
要望を言葉にし、一緒にその奥をたどってみて、はじめて見えてくるものがあります。自分にとって、何が心地よいのか。どんな時間を、大切にしたいのか。それは、一人では、なかなか気づけないものです。
家づくりは、間取りを決める作業ではないのだと思います。それはむしろ、自分を知っていくプロセスです。家づくりは、自分を知ることから始まる——そう考えています。
あなたが思い描く家の、その間取りの奥には、どんな暮らしが、どんな心地よさが隠れているでしょうか。